花谷コーチにインタビュー!子ども時代の陸上経験談

2023/09/02

今回はクラブ内外でも活躍されている花谷コーチにインタビューしました。35歳になっても現役で競技活動を続ける花谷コーチの子ども時代に隠された競技力向上のヒントとは?クラブ広報の村上が迫ります!

村上:今回、インタビューさせていただきます村上です。よろしくお願いします。

花谷:よろしくお願いします!

花谷コーチはどのような子ども時代でしたか?

花:幼い頃から生き物が大好きで、小学生時代は特に昆虫が好きでした。

夏休みは毎日昆虫採集に出かけて、将来は昆虫図鑑の写真を撮る人になりたいと思っていました。

村:全然スポーツ少年って感じじゃなかったんですね。

花:はい、放課後のクラブ活動は理科クラブ所属でした(笑)

陸上を始めたきっかけはでしたか?

花:小6の時に体育の授業で走高跳と走幅跳両方で学年1位の記録だったことから、学校の先生に進められて大会に出場したのがきっかけです。初めて出場した種目は走幅跳で、応援に来た父親からは「誰よりも高く跳んでいた」と良いのか悪いのかわからない褒め言葉をもらいました(笑)

村:とりあえずめっちゃ跳んでたんですね(笑)

花:跳ぶ方向はさておき(笑)。で、その時に、「道具を使わず、シンプルに己の身一つで競い合う陸上ってなんて楽しいんだろう」と感じ、中学進学後には陸上部に入ると決心しました。

村:陸上を始めた頃はどんな様子でしたか?

花:中学入学後最初の100mは15秒7、200mは31秒1でした。決して速い方ではありませんでした。他人と走って勝った負けたなんて気にしたことはなく、単純に自分のタイムを更新していくことに楽しさを感じていました。

村:順位や勝負を意識し始めたのはいつ頃ですか?

花:中学2年生から走高跳を始めました。その頃、入賞するチャンスに恵まれ、もっと上を目指したい、勝ちたいと思うようになりました。短距離よりも競技人口が少なかったこともありますが、新たな世界を見ることができたので挑戦して良かったです。

そこから強くなれた理由は何だったんでしょうか?

花:たくさん試行錯誤したことだと思います。元々図鑑で調べたり研究したりするのが好きな性格だったので、陸上の本や雑誌を読んで跳び方や練習方法などの知識を得て、実践していました。跳び方も本を通じていろいろなスタイルがあることを知り、シングルアームからダブルアームに変えました。

自分の中学校には専門的な指導ができる先生はいなかったので、陸協の練習会などで専門の先生にわからないことを質問していました。

全中(中学校の全国大会)の出場には一歩及びませんでしたが、よく頑張ったと思っています。

村:受け身ではなく、自分から貪欲に取り組む姿勢がいいですね。聞けて良かったです!

村:高校では三段跳でインターハイと国体で入賞という成績ですが、どんなことを頑張りましたか?

花:公立の進学校だったので、私立の陸上推薦組にどうしたら追いつき追い越せるか、頭を使って効率よく強くなろう、という部の雰囲気があり、とても意識の高い集団でした。そんな環境に身を置けたことがまず幸運でした。

平日は7時間授業に加えて補習も多く、土曜日は模試などがあり練習時間は限られていたため、私生活の中での歩きや階段の上り下りなど、すべてを陸上に繋げる思考で毎日を過ごしていました。

高校入学後に顧問の先生の勧めで三段跳を始め、高校2年生までは、走高跳と三段跳の2種目に加え、秋シーズンには八種競技も行っていました。何でもできる身体能力を身につけることと、メンタルトレーニングを頑張りました。

村:メンタル面の強化に目を向けるって珍しいですね。

花:高校の恩師が、「精神は肉体を凌駕する」とおっしゃっていて精神面を重視していました。具体的には集中法を学んだり、イメージトレーニングの時間を練習開始前に作ったりしていました。そのお陰で、ピットに立った時にいつでも集中モードに入る術を身につけることができました。

最後に、クラブの中学生・高校生にメッセージはありますか?

花:私が好きな言葉に、「好きこそものの上手なれ」という言葉があります。好きだからこそいい時もそうじゃない時も頑張れる、好きだからこそ学び、工夫できると思っています。また、心から好きだと思える種目に出会えたのも、いろいろな種目に挑戦したからだとも思います。是非、中高生にはいろいろな種目に挑戦し、心から好きだと思える種目を見つけてほしいと思います。

花谷 昴(はなたに あきら)

京都府出身、京都西京高校・大阪大学卒。
ゆめおり陸上クラブ・ちはや陸上クラブのコーチ、大学の外部コーチとして小学生から大学生まで幅広く陸上競技の指導を行う。
高校から現在の専門種目である三段跳を始め、大学3年時に関西で初の16mジャンパーとなる。
その後、日本選手権6度入賞(最高4位)、全日本実業団選手権8度入賞(最高2位)などの成績を収める。自己最高記録の16m26cmは京都府記録。