高校までは野球部に所属し、大学から始めた陸上競技では、わずか数年でオリンピックに出場。短期間で競技力を向上させた秘訣や、オリンピック出場までの裏側を松原コーチに迫りました!
陸上競技を始めるまでの松原少年
地元新潟県内の中学・高校に進学し、野球部に所属していました。当時から、周りに比べて走るのが速かったと思います。
スキー検定1級を持っているくらいスキーが得意で、スキーのおかげで足腰が強くなり、それに加えて野球で身体の使い方が身についていたのが要因だったと今振り返れば思います。
ジャンプ力には特にたけていて、バスケットボールのリングに助走をつければ届いていました。
(垂直跳びの自己ベストは86センチです。)
陸上競技との出会いを始める
大学進学にあたり、スポーツが大好きだったので体育学部を選びました。また、この頃は野球のような団体種目ではなく個人種目に興味があり、東海大学の陸上競技部に入部することに決めました。
入部したての時は経験者ばかりで素人の私は戸惑う事ばかりでした。
地道な練習を積み重ねていき、走幅跳で7m、100mでは10秒台を出せる選手になり陸上競技にのめりこんでいきました。
大きな大会で活躍できる選手に成長
大学4年生(陸上競技を始めて3年後)には日本選手権(日本で1番大きい大会)や国民体育大会に出場できるまでの選手になりました。
就職は新潟に帰って教員をやろうと考えていましたが、国民体育大会から熱心に勧誘して頂いたナイキジャパンの方の影響もあり、実業団選手として陸上競技を続けることを決意しお世話になることになりました。
【写真の真ん中が松原コーチです】
実業団選手になってからオリンピック出場まで
ナイキジャパンに所属し陸上を続けていく中で、転機となる試合がありました。
ロサンゼルスオリンピックが開催される1984年の日本選手権。男子100mで見事初優勝を果たしました。しかし参加標準記録にわずか100分の1秒足りず、惜しくも代表を逃すことに。
あと一歩でオリンピック出場というところでした。
4年後のオリンピック出場を目指すのには不安な気持ちもあり、かなりの決意が必要でしたが、目指すことに。
結果的に4年後の1988年のソウルオリンピック開催の年の日本選手権で見事優勝することができました。そして男子4×100mRのメンバーに選出され、目標であったオリンピック出場を叶えることができました。
惜しくも逃した日から4年間、多くの方に支えていただいて、オリンピック出場を皆さんに喜んでいただけたので幸せな気持ちでした。
夢にまで見たオリンピックに出場してみて
1988年のソウルオリンピックに4×100mRの第一走者で出場しました。
当時は個人種目の100mでは海外勢に太刀打ちできないと判断し、リレーで何とか結果を出そうというのが全体の方針でした。
予選は通過したものの、タイムも思ったより伸びず、不完全燃焼でした。
準決勝では私はリレーメンバーから外れることになり、予選一本だけの出場でしたが、目標としていたオリンピックに出場できたことは、かなり良い経験だったと思っています。
オリンピック選手になるための秘訣
私はスタートを任されたのですが、前半型の競技スタイルが買われたのだと思います。自分の得意なことをさらに伸ばすように努力することは、かなり大事な秘訣です。
自分の得意なことを見つけ、ぜひそれを誰にも負けないくらいに磨き上げてください。
また、子どもの時からいろいろなスポーツに親しんできたことが、いろいろな能力を培い、それが最終的にひとつに結び付いたことも陸上競技で成功した大きな要因でした。もうひとつの秘訣は、いろいろな運動経験だと思います。
100mのスタートの秘訣、コツや意識していたことは?
現役当時の陸上界のスーパースターはカールルイスでした。
カールルイスのコーチであるトム・テレッツさんが居たヒューストン大学に冬期合宿に行き教えていただいたことが私のベースになっています。
- 地面を押すこと(push)
- 加速と維持(acceleration & maintain)
加速で意識していたこと
- スタートからトップスピードになるまでのおよそ50mを後ろ足は押していくイメージで膝を引きつけていく。
- 重心を高い位置で移動させていく ※上下動にならないように注意、跳ねすぎると体力消耗に繋がるため
- 前の足が接地したところに乗り込んでいくイメージで走る
維持で意識していたこと
- 加速に乗ってきたら、そこからスピードを上げようと思わずに、そのスピードをできるだけ維持しようと意識する
→無理にスピードを上げようとするとストライドでカバーしようとしてかえって減速につながるため
→接地のポイントがずれてブレーキをかける形になってしまうため
- 身体のブレを抑えながらピッチが落ちないように、そのままの走りを維持する
この2点を意識して競技に取り組んでいました。
まとめ
陸上を始める年齢なんて関係なく、地道な努力と自分の持ち味をしっかり伸ばし、活かせるようになれば、オリンピック出場を叶えることができます。
不安がある中でも決意を持って大きな目標に向かって、日々の練習を積み重ねていきましょう!
私がやっていたスタートのやり方については、具体的に教室の中でも伝えていますので、興味のある方はぜひ直接質問してもらえればと思います。
松原 薫(まつばら かおる)
新潟県出身
東海大学卒業後、ナイキジャパンにて実業団選手として活躍 1988年ソウルオリンピック日本代表(男子4×100mRメンバー)
日本選手権100mにて8度入賞、うち2度優勝。オリンピックをはじめ、アジア大会や世界選手権などの数々の国際大会に出場。
引退後は日本陸上競技連盟普及育成部などで後進の育成に尽力しながら、ゆめおり陸上クラブ・ちはや陸上クラブのコーチとして、次世代のオリンピック選手を生み出すべく指導現場に立ち続けている。
100mの自己ベストは10”38